2017年01月01日
宿駅制度400年記念なんだそうなw
あけましておめでとうございます。今回は、東八町交差点の北側に建ってる、
常夜灯v(・・)


由来の記述によると、元々は昭和五十五年に豊橋公園内に建てられた物を
平成十三年の宿駅制度制定四百年の時にこちらに移設されたようです。
東八町の交差点、ぐるっと歩道橋で回れるようにするのか?
って思ってたんだけど、途中で切れて、この常夜灯の有る辺り、
回遊用の階段と足が出来ると思ってたんだけど、これが出来たんで、
完全に無理になっちゃいましたね。

由来の石版には新町の大燈籠として吉田宿の名物となってた
場所との記述が有るって事は、他所の宿場にはこの手の物は無かった
ようですね。たしかに二川にはこの手の物は有りませんが、小さいのは
有ったんでしょうね。

東八町の交差点には、レプリカの模型ですが、
吉田宿の木戸も展示されていますが、東海道自体は一本南側の道を
通ってたようで、案内のプレートはそちらに有りますが、
中央分離帯で分離されちゃってるので、ちょいと根性が無いと通れません。
確かに、今の一号線の辺りは吉田城の外堀の中の場所になるんで、
東海道が通るなんて事はとても無理だったでしょうがw

どうやら、戦時下の三河地震までは建ってたようですね。
って事は幕末の安政地震には耐えたのですね。
さすが日本の技術は凄いですねって改めて思う記述です。
電気はさすがに電灯ですが、いずれLEDに変わるのかなぁ?
続きを読む
常夜灯v(・・)


由来の記述によると、元々は昭和五十五年に豊橋公園内に建てられた物を
平成十三年の宿駅制度制定四百年の時にこちらに移設されたようです。
東八町の交差点、ぐるっと歩道橋で回れるようにするのか?
って思ってたんだけど、途中で切れて、この常夜灯の有る辺り、
回遊用の階段と足が出来ると思ってたんだけど、これが出来たんで、
完全に無理になっちゃいましたね。

由来の石版には新町の大燈籠として吉田宿の名物となってた
場所との記述が有るって事は、他所の宿場にはこの手の物は無かった
ようですね。たしかに二川にはこの手の物は有りませんが、小さいのは
有ったんでしょうね。

東八町の交差点には、レプリカの模型ですが、
吉田宿の木戸も展示されていますが、東海道自体は一本南側の道を
通ってたようで、案内のプレートはそちらに有りますが、
中央分離帯で分離されちゃってるので、ちょいと根性が無いと通れません。
確かに、今の一号線の辺りは吉田城の外堀の中の場所になるんで、
東海道が通るなんて事はとても無理だったでしょうがw

どうやら、戦時下の三河地震までは建ってたようですね。
って事は幕末の安政地震には耐えたのですね。
さすが日本の技術は凄いですねって改めて思う記述です。
電気はさすがに電灯ですが、いずれLEDに変わるのかなぁ?
続きを読む