2017年01月04日

橋の向こうは宝飯郡だったんですね。

国道一号線の吉田大橋、橋の袂からσ[◎]・ )パチリってみました。

吉田大橋の袂

橋の向こうに見えているのは、財貨の観音山から東に連なる山並み、

千両の杣坂辺りになるのかな?もちっと開けた場所なら、

第二東名の高架が写る辺りなんでしょうが、こっからはちょっと

写りませんでしたね。かなり高いところを高架って言うより、

橋って感じで谷を渡ってる場所ですね。下から見ると、

かなり高い所を道が通ってるんで、「あそこから落ちたら痛いだろうな」

っていつも思っちゃう場所でつw吉田大橋の名前も、

江戸時代は今の豊橋がその名前を冠した天下橋だったとか、

岡崎の矢作大橋と同じで、大きな川なのに、渡し人足ではなくて、

橋を架ける事が許された場所です。今の一号線が通ってる場所は

江戸時代には、吉田城内だったとか、戦前もここは十八連隊の

敷地内で、道は無かったとの事です。橋の向こう岸の下地は元々、

宝飯郡。こちら側の関屋町は元々渥美郡だった時期もあるとか、

色々変わってたのですね。
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Posted by σ(・o・s) オイラ at 11:29Comments(0)ピークの見える道